私の両親は、
「我慢は美徳」
「忍耐強く生きる事こそ大切」
「嫌なことからは逃げないで
自分から立ち向かって行け」
「若い頃の苦労は、買ってでもせよ」と
常日頃から言っており
こういう教育環境の中
私は育ちました
「我慢や苦労は、美徳」と
信じてやまない親です
親の独自理論を
子ども時代から徹底的に叩き込まれたので
私の体には「我慢や苦労は、美徳」が
染みついてしまっています
一種の「洗脳」ですよね。
子どもの頃に受けた教育は
「自分の価値観の基礎」となり
なかなか抜けません
私の持論ですが、こういうのって
親から子に、そしてその子が親となり、
そして生まれた子にも同じことを教育する・・・
連鎖していくものとだと思っています
私の母の母(要は祖母)も、
「我慢は美徳」という考えの持ち主です
「苦しくても、歯を食いしばって我慢しなさい。
我慢してれば神様が見ていてくれて、
いつかきっといいことがあるから。」
この「価値観」って私からすると
過激な言い方になってしまいますが
「病的だな・・・」と思ってしまいます
「忍耐や我慢」の末に、
なにがあるのでしょうか・・・
私一個人の考えですが
なにもないように思えてならないです
こういう価値観や考えになってしまう「背景」は
「戦争」が起因しているのではないかと
勝手に思っています
戦争当時は、今日食べるものもあるかわからず
みんなが「我慢」していないと
「成り立たない時代」でした。
「お国のため」「贅沢は敵だ」などと言って
「みんなで我慢すること」で
「一致団結」して
「士気」を高めていたのでは・・・と思うのです
当時は、そういう生き方しかなかった。
「それ以外の生き方」なんていう
「選択肢」すらなかったと思います
非国民扱いされては、
当時の社会では生きてはいけないので
その色に染まるしかなかった
その時代を生き抜いた
私たちの祖母達世代は犠牲者だと思います
そう頭に刻まれて生きてきたのだから、
自分の子供が出来た時にそう教えるのは
至って自然のことだと思います
でも、終戦し、時代は大きく変わり
物質的に、とても豊かで恵まれた時代となりました
「我慢」しなくていい時代が来たのです。
私は、両親から受けたその教育(洗脳)が抜けなくて
今も葛藤して生きています
「我慢」は「美徳」なんてことはなく
「我慢」は「単なる苦行」でしかないと思います
確かに、多少の「我慢」は、
生きていく上で必要だと思います。
でも、
「自分を犠牲にしてまで、我慢しなくてはならない」なんて
「今の時代」は「ない」と思います
生きるのが「しんどくなってしまうだけ」だと思います
せっかくチャンスがあって
日本という安全で、豊かな国に生まれてこられて
今を生かしてもらってるのだから
「楽しく」生きた方が絶対いいですよね。
「自分にとって」「不快なこと」を我慢する必要はありません
この時、「自分主体」で考えるのが重要です
こういうタイプの親は
「そんな程度の不快は、不快のうちに入らない。」
「もっと不幸な人たちは世の中にたくさんいる。」
「それは甘えだ。」
などと言って否定してくると思います。
でも、
「よそ」は「よそ」
「人」は「人」
「自分」は「自分」です
人の数だけ「価値観」があります
自分と全く同じ価値観の人間なんて
この世に存在しないのです
「他」や「違い」を受け入れてもいい「時代」が来たのです
私の親世代、祖母世代、その他様々な世代の方々が
「我慢の人生」から抜け出し、
「自由に」「自分の人生を生きる」事が出来るといいなぁと思います
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