調子が悪くてずっと寝込んでいた
風邪を引いてもずっと治らず、
「なんなんだこの長引く不調は・・・」
自分でもうすうす気付いていた
「精神的な病気かもしれない・・・」
自分自身が「精神的な病」になってしまったことを
すんなり受け入れることは出来なかった。
「自分が病気である現実」を信じたくなかった。
「病気を受け入れる」ことが
こんなにも苦しくて辛いものだとは知らなかった
今まで、精神的な病に対して
「差別的な感情」を抱いたことはないつもりだったのに、
この拒否反応・・・
それほどまでに
「自分が病気になる」という事実は
病気の種類など関係なく
とてもショッキングな出来事なのだと思った。
夫に「心療内科に行ってみたら?」と勧められた。
(なぜか)とても無神経だと思った。
(なぜか)無性に腹が立った。
自分でもうすうす気づいていたからだと思う。
図星だったから、腹が立った・・・のだと思う。
体が、今まで感じたことのないくらい本っっ当に重たくて、
なんにもやる気が出なくて
ずっと寝込む生活。
食欲もなくて、睡眠欲もない。
「家事も育児もできない役立たずな人間は
さっさと死んだほうがいいのではないか」
「自分の生きている意味とは何なのか」
「この世に私を必要としている人はいるのか」
「生きるとは、楽しいことよりも辛くて苦しいことのがずっと多い」
負の感情が無限ループしていた。
「勢いで、ふらっと死を選んでしまうかもしれない」
そんな危険な考えが、頭をよぎった
1歳8か月の息子がいる。
死んではいけない。
その時の私は、
「うっかり」自死してしまいそうだった。
どうやって死のうか。
痛いのはやだ。
人様に迷惑をかけるのも嫌だ。
事故物件になるから自宅はだめか。
意外と冷静な自分がいた。
踏切の前で、「今前に出たら死ぬな」とか
自転車で坂道を下りながら、
「このままブレーキしなかったら交差点に突っ込んで死ぬな」
「信号無視したら死ぬな」とか・・・
常に頭の中に「死」がちらついていた。
いろいろ考えてたが、
やはり行動には移せなかった。
「自死する」とは、
ある意味、一種の異常なエネルギーが働かないとできないことだと思う。
私には、そのエネルギーはなかった。
「死ぬことを怖い」と感じた。
死なないなら生きなきゃいけない。
「死ねないから生きる」を選択した。
生きるのなら、
病気かもしれない現実を受け入れて
心療内科へ行こう。
治しに行こう。
元気になろう。
楽になろう。
病院へ行き、
「うつ状態にある」と診断された。
「やっぱりな」と思った。
でも、病名をつけられてホッとした。
気持ちがラクになった気がした。
原因がわかると
人間は不安から解消されて安心するんだと思った
それからは、お薬を飲みながら
出来るだけ休む生活。
「生きること」を選択したなら
早く治したいと思ってしまう。
病院の先生に
「焦らずに治していきましょう」と言われた。
お薬を飲んでいても
「死にたい」という願望は
沸々と湧いてくることもある。
夜中に眠れなくて
「私はなぜ生きているのだろう」
「私はなぜ生まれてきてしまったのだろう」
「私は存在するだけで、害悪なのではないか」
「私に存在価値などあるのか」
自分が生きることに対して、
悲観的な感情しか出てこなくて
隣で寝ている夫に気づかれないように
ひとり涙を流す夜が度々ある。
横で夫は、ガーガー寝ている。
「生きる」とは、
楽しいことよりも「辛くて苦しいこと」の方がずっと多いと感じる。
なぜ人は生きなきゃならないのか?
なぜ私は生を受けたのか?
「人間の生きる意味」、
「自分の生きる意味」を私は今日も考えている。
「死ねない」から今日を生きている。
消去法だ。
でも、そんな生活の中でも、
「小さな小さな生きる希望」を見つけて
みんな生きているのだと思う。
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